41.日本製(せい)の火縄銃(ひなわじゅう)は、もとになったヨーロッパ製の火縄銃よりも優秀(ゆうしゅう)だった
1543年、種子島(たねがしま)に南蛮船(なんばんせん)(=貿易(ぼうえき)のためのポルトガル・スペインの船)が漂着(ひょうちゃく)したことで伝来(でんらい)した火縄銃(ひなわじゅう)。
その銃を見た種子島領主(りょうしゅ)の種子島時尭(たねがしま ときたか)と、その父、種子島恵時(たねがしま さととき)は、火縄銃の威力(いりょく)に驚(おどろ)き、1挺(ちょう)1,000両で2挺の火縄銃をポルトガル商人から買ったんだ。
そしてこの銃をもとにしてどんどん銃を作らせたんだよ。
その頃(ころ)日本では刀鍛冶(かたなかじ)をはじめとする優秀(ゆうしゅう)な技術(ぎじゅつ)をもった職人(しょくにん)がたくさんいて、日本独自(どくじ)の火縄銃「種子島銃」を作ることができたんだ。
これはヨーロッパの銃よりも丈夫(じょうぶ)で多くの火薬をつめることができて、遠くまで鉄砲の弾(たま)を飛(と)ばすことができたし、その威力も大きかったんだって。
そして、伝来してからわずか30年後にはヨーロッパよりも火縄銃を多く持つ国になったんだ。
優秀な日本のものづくりは、このころからすでにあったんだね。