-古文書探検隊(たんけんたい)が行く-
古文書からは、さまざまな事が分かるんだけれど、中には歴史(れきし)を変える事実が見つかる時があるんだよ。
えっ? どういうこと??
お手紙で、新事実が発見されるとか?
今も昔も地震(じしん)は怖(こわ)い物だよね。
康和(こうわ)地震という大きな地震が、畿内(きない=今の奈良県(ならけん)や大阪(おおさか)付近(ふきん)を震源(しんげん)として起っていたとされていた。
この地震は1099年に発生したと言われていたんだ。
でも、後に古文書を研究したことから、実は畿内の大地震は1099年ではないのではないか、震源が間違(まちが)っていたのではないか、という事が分かっていたんだ。
古文書が間違いを教えてくれたんだね。
高知県では、その歴史の中で長宗我部氏(ちょうそかべし)はとても重要(じゅうよう)な人物なんだ。
その長宗我部氏が活躍(かつやく)した時代に関(かか)わることが古文書によって変わりそうなんだ。
長宗我部元親(もとちか)が明智光秀(あけちみつひで)の家臣(かしん)の斎藤利三(さいとう としみつ)や、その兄の石谷頼辰(いしがい よりとき)やに宛(あ)てた書状(しょじょう)が見つかったったんだ。
その中に自身やその息子と、織田信長(おだのぶなが)との関係(かんけい)や親密(しんみつ)だったことが読み取れるものなどがあり、新事実が、新たにわかってきているんだ。
京都府(きょうとふ)の山城地域(やましろちいき=昔、山城の国と呼(よ)ばれていた京都府の南部のうち、京都市以外の地域)の自治体(じちたい)が歴史(れきし)をまとめるときに、「椿井文書(つばいもんじょ)」というお寺や神社(じんじゃ)の史料をまとめた文書が数多く引用されてきたんだ。
でも、実はそこに記(しる)されている差出人(さしだしにん)や花押(かおう)に偽物だったものがあった!
この椿井文書は販売(はんばい)されていたもので、都合(つごう)に合わせた明らかな偽物を作り出したものもあれば、本物か偽物かわからないものもあって、判断(はんだん)がむずかしいよね。
歴史(れきし)の中でも大きな出来事の一つ“本能寺(ほんのうじ)の変(へん)”。
織田信長を討(う)った明智光秀は本能寺にいた、と、ドラマなどでは描(えが)かれることが多いよね。
でも、奇襲(きしゅう)に参加(さんか)した光秀の家臣が語った「乙夜之書物(いつやのかきもの)」という書物の中には、「光秀ハ鳥羽(とば)ニヒカエタリ」とあるんだ。
光秀は鳥羽にいた、つまり本能寺にはいなかったと書いてある。
書き物は後日書くので創作(そうさく)や脚色(きゃくしょく)が入ることがあるので、真偽(しんぎ)にはまだまだ謎(なぞ)がある。
もしも、その時に光秀が書いた古文書でも出てくれば、真実が分かるよね。
古文書ってロマンをもたらしてくれるね。
このページで学んだことのポイントはこれだ!
整理しておくよ。
〇新たな発見がある。
〇あやふやだった歴史(れきし)の事実を裏付(うらづ)けることもある。
〇その結果(けっか)、これまでとは違(ちが)う事実が確認(かくにん)されることがある。
大発見だね!
うん、大発見!!
そのほかにも、
平清盛(たいらのきよもり)の本当の父親は?
源頼家(みなもと の よりいえ)の側近(そっきん)に北条(ほうじょう)氏(し)のスパイがいた?
後醍醐(ごだいご)天皇(てんのう)が偽名(ぎめい)で文書を書いた?
など、数々の定説が、後に発見された古文書によって変わっているんだよ。
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古文書から分かったことデータベース 古文書で歴史(れきし)が書きかえられたこと
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