7.源頼家(みなもとのよりいえ)の側近(そっきん)には北条氏(ほうじょうし)のスパイがいた。

鎌倉(かまくら)幕府(ばくふ)二代(にだい)将軍(しょうぐん)源頼家(みなもとのよりいえ)は、なんでも自分一人で決めて勝手に行ってしまう独断専行(どくだんせんこう)な性格(せいかく)だったから、御家人(ごけにん)(=家来のこと)の信用(しんよう)を得(え)られなかったんだ。

それに、中野家平(なかの いえひら)や比企(ひき)一族(いちぞく)、梶原景時(かじわら かげとき)などの一部の人だけを側近(そっきん)として近くにおいて、遊んでいたりもしたんだ。

だから、弟の源実朝(みなもとのさねとも)を推(お)す北条氏(ほうじょうし)に追放され、刺客(しかく)に暗殺(あんさつ)されてしまうんだ。

歴史書(れきししょ)の『吾妻鏡(あづまかがみ)』にも、側近も、頼家追放の時に、領地(りょうち)を没収(ぼっしゅう)されて、同じように追放の罰(ばつ)を受けたと書かれているんだ。

だけど、中野家に関(かか)わる古文書「市河家(いちかわけ)文書」には、北条時政(ほうじょう ときまさ)本人から中野家平にあてて、特別に領地をあげる、という手紙があったとされているんだ。
つまり、中野家平は側近のふりをして、実は北条氏のスパイだったということが、この古文書からわかった、ということなんだ。