8.院宣(いんぜん)を読むことができた幕府(ばくふ)御家人(ごけにん)は、一人だけだったというウソ。

後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が院宣(いんぜん)(=上皇からの命令(めいれい)によって書かれる文書。くわしくはこの後の「カイドクできる? 古文書ってこうやって読む」のコーナーで学んでね)を出して、北条義時(ほうじょう よしとき)を討(う)とうとして負けた戦い「承久の乱(じょうきゅうのらん)」。

北条義時は、源頼朝(みなもとのよりとも)の鎌倉(かまくら)幕府(ばくふ)で力を持っていたので、上皇は「義時だけを討(う)て」と院宣を出したんだ。

だけど、義時は一人しか院宣を読めない事を利用(りよう)して、「上皇が鎌倉幕府全体を狙(ねら)っている」として対抗(たいこう)する兵(へい)を挙(あ)げたという説(せつ)があるんだ。

でも、よく考えると、源頼朝を助けて鎌倉幕府を作った上総介忠常(かずさのすけ ただつね)をはじめとする側近(そっきん)の御家人たちは、先祖(せんぞ)代々(だいだい)、国の行政(ぎょうせい)にかかわる最高(さいこう)長官(ちょうかん)なのだから、院宣を読むことができないわけがないんだ。

だから、一人しか読めない、というのは、兵を挙げる理由を作るためのウソだったんだ。