9.長篠(ながしの)の戦(たたか)いの鉄砲(てっぽう)三段(だん)撃(う)ちはウソというウソ。

1575年、織田信長(おだ のぶなが)軍(ぐん)と武田(たけだ)軍が戦(たたか)った長篠(ながしの)の戦い。

ここで有名なのは鉄砲(てっぽう)の三段(だん)撃(う)ち。

当時の鉄砲は火縄銃(ひなわじゅう)というもので、準備(じゅんび)から発砲(はっぽう)までに時間がかかる。
だから、三人一組になって、後ろで準備をして交替(こうたい)で撃てば、射撃(しゃげき)間隔(かんかく)を短くできるというものだったんだ。
1列に1000人、合計3000人の撃ち手がいて、1000人が一斉(いっせい)に撃ったとされているんだ。

でも、その後の研究で、陣形(じんけい)の事や絵図に記された様子から、この三段撃ちは「ウソ」とされてきた。

ところが、1592年~1598年の文禄(ぶんろく)慶長(けいちょう)の役(えき)の事を調べたら、また違(ちが)った事実が!

豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)が明(みん=現在(げんざい)の中国の一部)を征服(せいふく)しようとした戦いで負けた時に、明に降伏(こうふく)した日本兵(へい)が中国軍に教えた絵図面に、「輪番(りんばん)射撃法(ほう)」というものがあったんだ。
そこには三段撃ちの様子が描(えが)かれていたんだ。

つまり、三段撃ちはその前から日本では行われていて、長篠の戦いの三段撃ちも一概(いちがい)に「ウソ」とは言えない事がわかったんだ。