10.後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が偽名(ぎめい)を使った!?

天皇(てんのう)が命令(めいれい)の文書を出すときには、部下の蔵人(くろうど)(=秘書(ひしょ)のようなもの)に書かせていたんだ。

それを綸旨(りんじ)というんだ。(くわしくはこの後の「カイドクできる? 古文書ってこうやって読む」のコーナーで学んでね)

ところが元弘(げんこう)3年(1333年)4月におきた元弘の乱(らん)で後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が鎌倉(かまくら)幕府(ばくふ)を倒(たお)して、6月に天皇が自(みずか)ら政治(せいじ)を行う親政(しんせい)政治が始まったときには、綸旨が間に合わなくなってしまったんだ。

そこで、後醍醐天皇は、近臣(きんしん)の千種忠顕(ちくさ ただあき)の署名(しょめい)を使って自分で綸旨を書いて、体裁(ていさい)を整えたんだ。
その古文書は今も残(のこ)っているんだよ。