16.鳥羽伏見(とばふしみ)の戦(たたか)い、幕府軍(ばくふぐん)の装備(そうび)は旧式(きゅうしき)?

慶応(けいおう)4年(1868年)におきた鳥羽伏見(とばふしみ)の戦(たたか)いは、「薩摩(さつま)長州(ちょうしゅう)軍(ぐん)」=新政府(しんせいふ)軍と、徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)を総大将(そうだいしょう)とする旧(きゅう)幕府(ばくふ)軍が初(はじ)めて武力(ぶりょく)衝突(しょうとつ)をしたものだよ。

兵(へい)の数は旧幕府軍の方が多くて優勢(ゆうせい)だったんだけど、装備(そうび)が劣(おと)っていたから負けたという説(せつ)があったんだ。

でも、その後いろんな記録(きろく)から、それはウソだったという事がわかったんだ。

薩長(さっちょう)(=薩摩と長州を合わせた呼(よ)び方)軍は新型(しんがた)ライフルの「ミニエー銃(じゅう)」を装備、一方の旧幕府軍である会津藩(あいずはん)の兵や新選組(しんせんぐみ)は、刀や槍(やり)が主な装備だったといわれていたんだけど、実はミニエー銃より高性能(こうせいのう)なフランス最新式のシャスポー銃も装備していたんだ。

この戦いは、装備の違(ちが)いより、薩摩軍が陣組(じんぐみ)に勝ったことや、天皇(てんのう)の印(しるし)でもある“錦(にしき)の御旗(みはた)”が掲(かか)げられたことが、勝敗(しょうはい)に大きく影響(えいきょう)したんだ。