24.誰(だれ)が知っていた?坂本龍馬(さかもと りょうま)の潜伏(せんぷく)場所

坂本龍馬(さかもと りょうま)暗殺(あんさつ)の近江屋事件(おうみやじけん)には、いろんな説(せつ)があるんだけど、その一つを紹介(しょうかい)するね。

土佐(とさ=今の高知県)の岩崎弥太郎(いわさき やたろう)は三菱(みつびし)の創始者(そうししゃ)。
土佐商会という土佐藩(はん)の組織(そしき)で船や武器(ぶき)の輸入(ゆにゅう)仕事をしていたんだ。

彼は、坂本龍馬の作った亀山(かめやま)社中の後継(こうけい)の海援隊(かいえんたい)の会計も行っていたんだよ。
坂本龍馬とは幼馴染(おさななじみ)で、日記には一緒(いっしょ)にお酒を飲んでいたことも書かれているんだ。

近江屋事件の時、龍馬は寺田屋から近江屋(おうみや)に移(うつ)ったばっかりだったのに、どうやってその暗殺者は潜伏(せんぷく)場所を知ったんだろうね。
岩崎弥太郎と同じ句会(くかい)参加(さんか)していた薩摩(さつま)藩士(はんし)が、そこで知った場所を、見廻組(みまわりぐみ)に知らせた可能性があるんじゃないだろうか、とも言われているんだ。

土佐藩と薩摩藩は同盟(どうめい)を結(むす)んでいたけど、違(ちが)った思惑(おもわく)もあったのかもしれないね。