27.ルーズベルト大統領(だいとうりょう)は本当に知っていたの?

何を? 真珠湾(しんじゅわん)攻撃(こうげき)の日時のこと。

日本軍(ぐん)は昭和16年(1941年)12月8日(現地(げんち)時間7日)、ハワイのアメリカ海軍(かいぐん)基地(きち)を攻撃したんだ。

その直前(1時間5分前)イギリス領(りょう)のマレーに対する攻撃も開始していて(本当は同時のはずだった)、太平洋(たいへいよう)戦争(せんそう)の始まりとなったんだ。

ところがこれをアメリカ側(がわ)からみたときに、いろいろな説(せつ)がでてきたんだ。

11カ月前の1941年1月に駐日(ちゅうにち)ペルー公使がアメリカの大使に「日本軍は真珠湾を攻撃する準備(じゅんび)をしている」という情報(じょうほう)を伝えたんだ。

それを聞いた駐日(ちゅうにち)アメリカ大使ジョセフ・グルーは、すぐに国務(こくむ)長官(ちょうかん)のハルに知らせて、それを日記にも書き残(のこ)しているんだ。
国務長官の回顧録(かいころく)にも同じ事が書かれているんだよ。
ハワイ島の新聞にも「日本、来週末(まつ)にも攻撃の可能性(かのうせい)」と書かれていたんだ。

これらを見ると、アメリカ側が日時を知ったのは、暗号解読(かいどく)ではなく、ペルーからの情報、という事になるよね。
もちろんアメリカのルーズベルト大統領(だいとうりょう)はこれを知っていたんだ。

でも、別(べつ)の一説(せつ)によると、ルーズベルトは知っていて黙(だま)っていて、わざと日本に攻撃させて、開戦(かいせん)のきっかけを待っていた。
それが、真珠湾の人々を見捨(す)てることになったと・・・。

FBIの記録(きろく)によると日本が送った暗号を解読(かいどく)したから、ルーズベルトは攻撃の日を知っていたとされているんだ。

でも、日本海軍の左近允尚敏(さこんじょう なおとし)は、資料(しりょう)を傍受(ぼうじゅ)したのは1941年11月18日だけど、解読(かいどく)したのは1946年4月26日だから、解読はしていなかったんじゃないか、と指摘(してき)してるよ。

もしも正確(せいかく)に知らなかったら・・・。

ルーズベルトは誤(あやま)ったいくつかの情報から、偶然(ぐうぜん)正確に推定(すいてい)していたんじゃないか、という説もあるんだ。