32.源実朝(みなもとのさねとも)暗殺(あんさつ)直前に・・・
北条義時(ほうじょう よしとき)は平安末期(まっき)から、鎌倉(かまくら)時代初期にかけて活躍(かつやく)した武士(ぶし)で、あの北条政子(ほうじょう まさこ)の弟。
鎌倉幕府(ばくふ)の第2代執権(しっけん)(=鎌倉幕府の政治(せいじ)を統括(とうかつ)する役職(やくしょく))でもあるよ。
源実朝(みなもとのさねとも)が暗殺(あんさつ)された時には、普段(ふだん)なら太刀持ち役の北条義時は、近くにいるはずなのに、そこにいなかったから助かったんだ。
歴史(れきし)書『吾妻鏡(あずまかがみ)』によると、義時はその事件(じけん)の直前に、気分が悪いと言って、源仲章(みなもとのなかあきら)と交替(こうたい)をしたために、難(なん)を逃(のが)れた、としているよ。
それは、北条義時は、暗殺事件が起きることを事前に知っていたから、わざと交替したんだと言われているんだ。
でも、別(べつ)の資料(しりょう)『愚管抄(ぐかんしょう)』によると、義時は実朝の命令(めいれい)で、違(ちが)う場所にいた、ともされているよ。