43.小田原北条氏(おだわらほうじょうし)の軍隊(ぐんたい)編成(へんせい)

小田原北条氏(おだわらほうじょうし)(後北条氏(ごほうじょうし)とも言う)は、鎌倉(かまくら)幕府(ばくふ)の執権(しっけん)(=鎌倉幕府の政治(せいじ)を統括(とうかつ)する役職(やくしょく))の北条氏とは別(べつ))北条早雲(ほうじょう そううん)こと伊勢新九郎(いせ しんくろう)に始まる一族で、豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)に滅(ほろ)ぼされるまで、5代に亘(わた)って、相模国(さがみのくに)(現在(げんざい)の神奈川(かながわ)県のうち川崎(かわさき)市・横浜(よこはま)市以外(いがい)の地域(ちいき)と、静岡(しずおか)県の一部)を治(おさ)めていたんだ。

北条五代記によると、その小田原北条氏の軍隊(ぐんたい)は、豊臣方と戦(たたか)った時には5万6千人余(あま)り。

その兵(へい)を白・黒・青・赤・黄の馬印(うまじるし)(=戦場(せんじょう)で大将(たいしょう)が自分の場所を示(しめ)すために馬や槍(やり)の先につけた印)を差(さ)した部隊(ぶたい)に分けて戦(たたか)わせ、予備(よび)の部隊は「いろはにほへと・・・」の仮名(かな)の旗指物(はたさしもの)(戦場で兵が自分の場所を示すために身につけた旗(はた))でグループ分けをして、たくさん配置していたんだって。